秋葉原
2006-01-04


昨日のこと。秋葉原で保護シートなどを買った私は、用も済んだので適当にぶ らついていた。そして、駅のガード下にある秋葉原ラジオセンターの細い路地 の入口で、若い女性のグループ数人とすれ違った。その女性たちは、路地のほ うを指差し、「きもいー♪」と言ってはしゃいでいる。

まぁ、アニメショップなどを指してとか、食べ物を売りつつコミケの大行列を 見てそう言うのならともかく、わりに昔 からある、ちょっと昔の秋葉原らしさが残ってるこの手の場所を指してそのよ うに言っているのが面白い。正直なところいい気分はしないけれども。

「電車男」のヒット、駅前の大規模な再開発、大型店の誕生などで秋葉原に観 光客が増え、ここ数年くらいの「住人」との間で軋轢のようなものがあること は普段から実感はしていたのだが、今さらながらに、このような典型に遭遇で きたのは興味深いものがあった。

とはいえ、最近のオタクですら、それ以前よりの「住人」から見ても 異質なものであったことも今さらの話ではある。

去年のいつだったか、 秋葉原から自宅へ帰る途中、すごい形相で「あいつら(萌え系オタクの人々)が 来たから秋葉原は嫌な街になったのだ」的なことをブツクサと呟く人と すれ違った。その時には私は殴りかかられるのではないか、とヒヤヒヤした。

もっとも、「PCパーツ系の店がはびこってきた時点(80年代後半から90年代頭 くらいか)で私にとっての秋葉原は死んだ」といったことを言っていた知人も いるので、実感としては人それぞれだろう。そのブツクサ呟いていた人にとっ ての秋葉原がどのようなものであったのかは聞いてみたいところ。

私自身は電子工作、PCパーツの組み立て、アニメ、など趣味は広く浅く片足を 突っこんでいるので、ハムやオーディオ・家電の街から、PCパーツの街、アニ メ・ゲーム系の店の隆盛、といった変化自身は素直に受けいれることができて きた。かつては神保町、渋谷、新宿、中野、吉祥寺などの点在していた、その 手の店を回らずに済むようになったので、非常に便利になった。今住んでいる ところの選択も秋葉原の徒歩圏内であることが要因の一つになったほどである。

ただ、最近のブームを意識したわざとらしいメイド姿の売り子さん達、歌 舞伎町から浄化作戦により追われてきたであろう業態の店(昭和通り側には昔 からあったとはいえ)、原宿を追われてきたストリートライブになってくると、 もう何がなんだか、の世界ではある。面白いけど。

でも、新しいビル群や、それらに入るオフィスの住人を意識した普通の飲食店 チェーンの集合などは、どうにも違和感がある。確かに便利ではあるけど、普 通の街と変わらなくなってしまう。新しいビルの下など、いい感じの広場になっ ているのに、それが公的には「通行路」としてしか認定されていないのは寒々 しい。新宿西口フォークゲリラによって「広場」が「通路」になった過去の歴 史の再現を見るようでもある。

昔話題になった 趣都の誕生 萌える都市アキハバラ によれば、秋葉原の発展の仕方は特定の企業なり行政なりの意図を中心とした ものではなく、来訪者各個人の生活スタイルの延長が街を形作ってきたと あった。確かに自分自身を振り返るならば、そう言えるかもしれない。


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